意味がなくて穏やかなもの
2010年 06月 16日
善いだけのものは、日々の暮らしの中ではなかなか見付からない。
「善い」を主観的に定義する。悪意が無い状態、とする。
まず、人については絶望してよい。善い人はいても、善いだけの人は居ない。「善人はなかなかいない」だ。
人以外の生き物はどうだろう。やはり難しいように感じる。悪意も善意も行動原理に無い。何故か蟹には期待しても良い気がする。横にしか動けないからか。
有形物だと建築物が狙いに近い。森や街といった有形物の集合体も善いだけの場合がある。水には無限の可能性がある。
無形物には総じて期待して良い。特に絵画や音楽は稀に善意のみで構成されている。或いは善意のみを希救している。
有形物を無形物の容れ物とすればどうか。人とレコードの同一視。やはり危険な発想なので捨てる。
「善い」を主観的に定義する。悪意が無い状態、とする。
まず、人については絶望してよい。善い人はいても、善いだけの人は居ない。「善人はなかなかいない」だ。
人以外の生き物はどうだろう。やはり難しいように感じる。悪意も善意も行動原理に無い。何故か蟹には期待しても良い気がする。横にしか動けないからか。
有形物だと建築物が狙いに近い。森や街といった有形物の集合体も善いだけの場合がある。水には無限の可能性がある。
無形物には総じて期待して良い。特に絵画や音楽は稀に善意のみで構成されている。或いは善意のみを希救している。
有形物を無形物の容れ物とすればどうか。人とレコードの同一視。やはり危険な発想なので捨てる。
by sholitude
| 2010-06-16 09:11
| 日記